07年10月31日

10月18日(木)
今日は、瀋陽へ向かう日です。8時30ホテル発で、まず「東北烈士記念館」に。
この記念館には、中国東北部で抗日戦争と国民党との開放戦争で、犠牲となった革命人士の展示記念館です。 日本侵略戦争の罪状が詳しく展示されており、中国人民への拷問の様子や、その用具の展示などがあります。
13時15分 ハルビン空港離陸→14時17分 瀋陽桃仙空港着。直ちに日中戦争勃発の地、「9・18事変博物館」へ。

(9・18事変記念館)
記念館に着いたのは15時30分を廻っており急いで館内を見学。「九・一八事変博物館」は、1931年、9、18日、日本軍が中国東北部全面侵略のきっかけを作るために、自ら満鉄を爆破させたあの「柳条湖事件」を記念して60周年の年に建てられたものです。
「勿忘国恥」記念館のこの文字は、私たちに何を呼びかけているのでしょう。「国の恥を忘れるな」中国では大事な記念日とされており、毎年この日の夜は、10時20分(3年前から9時20分)瀋陽市内の道路上を走行する自動車は、クラクションを鳴らし警報音とするそうです。愛国教育の一環です。愛国心は押し付けるものではない。歴史の真実をきっちり学べば育つものその立場で中国は歴史の真実の教育に力を注いでいます。日本とは大違いです。
夕食は、10数種類の餃子コースでとてもおいしく頂いた。心身ともにきつい旅ですのでこのおいしい餃子に心が和みました。

07年10月30日

(写真はカリン)
旧友と長き電話や10月尽ーーよし子
明日で10月も終わりです。毎日毎日が、あっと言う間に過ぎてゆきます。行事の多い10月でした。さらに果物のおいしい季節なので、血糖値・血圧管理に努めました。
<私の11月の主なスケジュウール>前期
11月3日(土) 倉敷市自治研究集会
11月 4日(日) 第19回溜川清掃大作戦
11月 5日(月) 放課後子どもプラン全国シンポジュウム
後期高齢者医療保険制度学習会
11月 6日(火) まなびピア総合閉会式
11月 9日(金) 市内児童クラブ視察
11月11日(日) 玉島健康まつり(医療生協)
07年10月29日

(倉敷市総合福祉事業団職員と懇談ー倉敷市有城)
○知的障害者授産施設ーふじ園 、 ○肢体不自由児通園施設・重症心身障害児(者)-くすのき園、○ふれあいの家を視察し職員と懇談をしました。職員が充分とは言えない環境の中で頑張っている姿をしっかり受け止めさせていただきました。

午後からは、<庄地区の楯築遺跡>国指定史跡、<施帯文石>国指定重要文化財、<王墓山古墳>県指定史跡、<日畑廃寺>市指定史跡、上東遺跡、など文化財保護課の職員の案内で視察しました。
07年10月29日

(勇崎第一公園で開かれた運動会)
昨日、 八幡地区社協の第3回3世代運動会に行きました。昨年より多い参加者数です。地区社協の運動の活発さの反映だと思います。来賓挨拶、血圧測定(風船をお尻で割る)に出場しました。
07年10月27日

若葉や花にある斑点模様が、鳥のホトトギスの胸にある模様と似ているところからこの名になったとのこと。
07年10月26日

(写真は中電玉島営業所)
倉敷消防署からの報告によると、10月26日(金)14時53分、中国電力(株)玉島発電所高圧ガス施設において、液化アンモニアローリーからガスタンクへアンモニアを荷卸し作業中にアンモニアガスが漏洩し、作業員一人が負傷。原因は調査中とのこと。
本件でコンビナート事故は、今年に入って7件目です。 中国電力は今年の3月電力不正総点検で、数々の不正が発表され、その中で倉敷市との公害防止協定違反も明らかになりました。党議員団としても事故原因の調査を行いたいと思います。
07年10月26日

(撫順ー「平頂山受難同胞記念碑」に献花)-10月19日
1932年9月15、16日日本軍が撫順平頂山の住民3000人を虐殺した事件の記念碑
07年10月25日

(よく管理されている砂場)
昨日倉敷市立旭丘幼稚園で行われました「幼稚園教育研究発表会」に文教委員として出席しました。
私は、昔の自分の仕事柄まずその園の砂場がどのように管理されているか一番に着目します。砂場は子どもたちの遊びの原点だと思っていますから。清潔さが保たれ、フカフカに耕され太陽をいっぱい吸い込んだ砂場を見てとてもうれしく思いました。
省みて保育園は、私立の幼稚園は、どうかしら即座に思いました。直ちに調査をし公・私を問わず全幼稚園・保育園に公立幼稚園並みの砂場になるよう出来る手立てをしなくてはならないと思いました。
07年10月24日

ー瀋陽発(15時35分)ー大連着(19時3分)間を快速列車でー
旧満州平野の夕焼けを楽しみにしていましたが、---車窓からはうまく撮れませんでした。
07年10月23日
この懇談会は、地元選出県会議員14人と岡山県備中県民局幹部職員との懇談会です。
倉敷市からは、議長、副議長、各常任委員会委員長、特別委員会委員長、更に倉敷市執行部から、市長、副市長、ほか幹部職員が出席予定です。
私は、「国際平和・文化都市推進委員会」の委員長として出席いたします。会場はなぜか「チボリ公園アンデルセンホール」です。時間は14:00~16:00までです。
07年10月22日

松花江の土手(巾50m、長さ3k)に水で文字を書く人ー中国らしい文化だと思いました。

(歩道や軒下を使って葱や白菜がいたるところで干されています)

(石炭を運ぶ馬車)ーハルビンにて
07年10月21日

(ハルピン市平房区にある「731細菌部隊陳列館」)
ーー20世紀20年代の末、日本はかつてない経済危機に陥り、国内の矛盾から抜け出すため、海外侵略に賭けました。田中義一をはじめとする内閣は、「満蒙分離政策」という中国解体の国策を制定し、これに日本軍部が積極的に呼応しました。国土が狭く、資源に乏しいという日本の実情から、資源やエネルギーを節約できる新兵器の開発を考え、細菌学の軍事的使用と細菌戦計画に踏み切りました。ーー
1931年9月18日、日本関東軍は中国の瀋陽北部柳条湖にて「九・一八事変」を引き起こし、東北地方を日本の植民地にしました。当時軍医少左だった石井四郎は、この機を利用し、主な研究活動を中国東北部に移し、731部隊をつくり、中国侵略戦争で細菌戦実施の準備に入りました。
私たちは、館職員のくわしい説明を聞きながら、全施設を見て回りました。館長の話では、来館者は年間31万人で日本人は、その内2万人とのこと。今は韓国からの来館者が多くなり日本は二番目だとのことです。「こんな無惨なことをよくしたものだ!」同じ日本人として申し訳なさで胸が張り裂けそうでした。

(ロシア侵略に備えて行われていた凍傷実験室ー極寒地区の作戦における凍傷治療の研究)
日本は、第二次世界大戦で細菌戦を実戦に用いた唯一の国です。数千人の生きた人間を実験材料とした国です。この館に展示された血の滴る写真とその被害者たちの声無き叫びが平和と戦争に対する人々の正しい選択の助けとなること、これがこの館の使命だと思います。若い世代にぜひ見せたいものです。
07年10月21日

(愛犬「ボス」の表彰状)
第14回倉敷健康福祉まつり(いきいきふれあいフェスタ)が水島緑地福田公園で開かれました。このフェスタはハンディのある人もないひとも人も、誰もが気軽に集い、楽しみながら健康チェックや福祉ボランティアを体験し、互いに支えあえる社会づくりに資することを願って毎年 開催され、今年で14回目になります。
その中の一つの行事としてワンちゃんの長寿と飼い主の温かい心に敬意を表する「飼い犬の長寿表彰」があり、我が家の「ボス」も表彰されました。心温まる行事です。改めて『ボスいつもありがとう』
07年10月21日
いつも温かいご支援とご助言をお寄せ頂きありがとうございます。私の留守の間についにアクセス5万を突破しました。何事も現場主義を貫き足で書いたブログです。これからも初心忘れず精進いたしますのでよろしくお願いいたします。
07年10月20日


(写真は、車窓から眺めた大連の街)
ーー日本が中国で何をしてきたのか、歴史の真実の学びの旅です。かっての侵略の傷跡から目をそらさず真実を知ることが何より大切です。そしてそれを踏まえて、この先中国と日本の友好の糧にしたいと思います。ーー
4泊5日の超過密・ハードな欲張った旅のスタートです。多くのことを学び肌で感じる旅にしたいと張り切っています。
岡山空港→大連周水国際空港(15時30分)*待ち時間を利用して中山広場・満鉄本社など観光と夕食。中国南方航空にてハルビンへ。ホテル着22時30分。
大連・ハルビンともに思ったほど寒くありませんでした。明日からハードなスケジュールが待っています早めに就寝。
07年10月15日

(写真は、柏台子ども会によるお祭り行事)
ひろい町内をお疲れさまでした。
さて、私明日16日(火)ーー20日(土)まで、日中友好協会倉敷支部(大森 久雄会長)企画の「中国東北部・平和交流の旅」に出ます。
ーーー主な視察・見学 学習場所ーーーー
○侵華日軍七三一部隊罪証陳列館の見学(館の人との懇談) ○日中戦争勃発の地、九・一八事変博物館
○露天掘で知られる石炭の町、撫順へ *平頂山受難同胞遺骨館(幸存者との懇談)*戦犯管理所陳列館の見学
以上のスケジュールはこれでもか、これでもか的日本軍の戦跡見学・学習ですが、帝国ロシア時代の雰囲気が味わえるハルビンの中央大街の散策を楽しみにしています。また今私たちが取り組んでいる「中国残留日本人孤児」を生んだその背景をしっかり学び取って来たいと思っています。
07年10月14日

野一面を覆い尽くしている芒原です。風に吹かれなびき光る様は、壮観そのものです。山頭火がぬっと出てきそうな気がしました
07年10月13日

(300人の参加で開かれた玉島地区大会ー玉島公民館ー)
12日、10時から倉敷市老人クラブ玉島地区大会が開かれました。同時刻に倉敷市民会館で「戦没者追悼式」があり市会議員・県会議員皆さんそちらに行かれ、市老人クラブ玉島地区大会の来賓は、私が一人でした。この種の大会を追悼式とダブルような日程で行うことは、よくありません。日程調整が必要です。
老人クラブ運営功労者9人が表彰されました。
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07年10月9日

良寛の最晩年は、 貞心尼の存在なしには語れません。貞心尼は和島村の木村家の庵居に毎日のように良寛を訪れています。このとき貞心尼30歳、良寛70歳です。歌を通して5年間にわたり心の交流をつづけたとの事。今開かれている「良寛生誕250年展」(倉敷市立美術館)でもその資料が展示されています。
江戸時代末期厳しい宗教的修行を経て特異な宗教感や芸術的境地を生み出した良寛にも最晩年には、人間的ふれあいが存在したのだと思うと、ほっとするものを感じました。
07年10月7日

昨日 孫たちと「たましま町めぐり」をしました。1500個とも言われる行灯が玉島の夜を彩りました。行灯つくりに、また当日の役割に総出で参加された玉島支所のみなさん、そして関係者の皆様お疲れ様です。
町をめぐって最後に19時から西爽亭で行われた「秋の夜長のコンサート」を楽しみました。マリンバをはじめてみた、3才の孫娘が今朝さっそくお箸を使って食卓を叩いていました。
07年10月7日

夏 賑わった高原も静かになり聞こえてくるのは、草刈機の音ばかりです。つかの間の高原の休みです。