07年6月30日

(今年も咲きました ハイビスカスー和名は仏桑華ー)
ーーー仏桑華(ぶっそうげ) そこには咲くな そこは基地 汝が紅は 沖縄のものーーー
私は、毎年この時期に咲くハイビスカスを見ると軍事基地に反対して戦った山原健二郎氏のこの歌を思い出します。
昨日玉島・浅口地区平和行進実行委員会が開かれました。今年も昨年と同様のコースを歩きます。出発集会は13時から倉敷市玉島支所前で行います。 玉島地区の平和行進は、先輩たちの努力で第一回の1958年から続けられています。私はその歴史と伝統を背負って市内を総指揮者として歩きます。市民の皆様一歩でも二歩でもご一緒に歩きましょう。
07年6月29日

この委員会は、国が総合的な放課後対策事業として示した「放課後子どもプラン」を構成する2つの事業、①放課後児童健全育成事業、(児童クラブ)と②放課後子ども教室推進事業を倉敷市ではどのように進めていくかと言う目的で立ち上げられました。
「推進委員会」の構成は、教育委員会及び福祉部局の行政関係者、学校関係者、放課後児童クラブ関係者、社会教育関係者、児童福祉関係者、PTA関係者、などで構成し議会からは文教委員会代表、保健福祉委員会代表が参加する17人で構成されています。委員長に倉敷市立短期大学の秋川陽一氏、副委員長に小学校校長会の磯崎宗司、と議会文教委員会代表の私、大本芳子 が選ばれました。
性質の違う二つの事業を行うにあたり、「学童保育対象児童に対し現在と同様のサービスの提供」は保障しなければなりません。そのためには二つの事業の財源をそれぞれ確保し、増額する必要があります。一体化を口実に、遊びと生活の場と言う学童保育の内容の変質があってはなりません。この点を今後厳しくチェックしていきたいと思います。あわせて二つの事業の拡充のため頑張りたいと思います。
第2回推進委員会は、8月下旬頃開催の予定です。
07年6月29日

(写真はねむの花ー真備歴史民俗資料館前にて)
1945年6月29日、午前2時43分から4時7分まで、1時間24分にわたる空襲でした。死者1,737人、負傷した人6,026人。焼失家屋25,032戸。市街地の焼失面積は7,690平方キロ(市街地の73%)。その中で最も激しく燃えたのが私の住んでいた弓之町でした。-岡山市史ー
私は1938年生まれですから、7歳のときでした。当時街角には「国防婦人会」のたすきをかけた婦人が「千人針」(一人が一針のふしを作って出征兵士の腹巻を作るふしが沢山あるので弾除けになると言われていました)への協力を求めて連日立つていました。その場所場所へ母は私を連れて行き、「この子は寅年です!」と誇らしげに言って歩きました。寅年生まれの人はそのふしを自分の年の数だけできるからです。寅は「千里行って千里かえる動物」と言われ出征兵士の生還の縁起を担ぎ戦時中はとても重宝がられました。私は母に連れられ毎日毎日千人針のふしを作って歩きました。(実際はふしは母が作りました)今思うに「国防婦人会の千人針」は思想動員の格好の材料でした。
鳩には、予知能力があるのか岡山空襲の1週間前ごろから、兄(旧岡工一年生)が屋根の上で飼っていた、伝書鳩が家に帰らなくなりました。空襲に備えてその頃より、鳩小屋の戸は開放していましたが、夕方になると必ず帰っていましたが。
旧制中学一年生だった兄(長兄)は、学校から農家の農作業に毎日出ていました。毎日兄が農家からもらって帰る弁当箱一杯の米の飯のおいしかったこと。次兄と一緒に長兄の帰りをいつも待ちわびていました。極度の食糧難でした。この頃から配給の代わりに各家庭には食券が配られるようになりました。「今日は肉?」と言うことでいそいそと食券を持って母と並びましたが、出てきたものは黒くて、固くて、臭みのある猫の肉でした。それでもありつけたらいい方でした。
07年6月28日


(海開きの準備がすっかり整った沙美海水浴場)
玉島沙美海水浴場は日本渚百選の一つで、日本でもっとも古い海水浴場です。04年の台風16号では大きな被害を受けました。以後防潮堤の建設、砂浜の整備に力を入れてきました。私も地元・海水浴場運営委員会の方々と何度も県へ行きました。
いよいよ3日は海開きです。無事故祈願、記念式展のあと古式泳法「神伝流」の披露があります。
開催場所: 沙美西浜海水浴場中央広場 お問い合わせ:沙美売店組合(086)528-2511
07年6月27日

(写真はアガパンサス和名はムラサキ君子欄)
今日は第一回社会教育委員会が、真備保健福祉会館で開かれました。委員会終了後、真備地区の社会教育施設の視察を行いました。女性委員の比率は53、3パーセントで、女性の目線で貴重な意見が沢山出され活発な会議でした。
私は校庭開放事業について質問し、その更なる前進を求めました。さらに事前配布の会議日程では、議事を13時30分から14時15分とあらかじめ決めておるなど、協議する時間の短さを指摘し、今後の会議の持ち方について、意見を述べました。
会議終了後、まきび記念館、大塚古墳、真備ふるさと歴史館、歴史民俗資料館、たけのこ天文台、など大急ぎで視察しました。私はこれらの施設視察は二度目ですが、視察してみて旧真備町は地域の文化を大切にしてきた、すばらしい町だったと改めて思い、これを守り発展させるのが倉敷市の責務だと思いました。

(真備ふるさと歴史館にて)