11年9月4日

政府 原子力推進の“障害”と民主的学者 排除リスト 1954年

2011年9月4日(日)「しんぶん赤旗」 >> 日本政府 原子力推進の“障害”と民主的学者 排除リスト 54年「極秘」報告書

日本で初の原子力予算が計上された1954年当時、日本政府の関係者が原子力政策の推進にあたり、自主的・民主的な研究を目指す原子核物理学者を“障害物”とみなし、「極左」「左」などと思想選別し、排除を考えていたことを示す「極秘」報告書が明らかになりました。記事

コメント2通 “政府 原子力推進の“障害”と民主的学者 排除リスト 1954年”

  1. 名無し 11年9月4日 14:30:16 #

    真摯な意見を排除したために、福島原発の惨事が起きた。
    アメリカに忠実な財界・政界と、御用学者や原子力村に取り込まれた連中が、そのまま原子力行政・原子力産業・電力業界を仕切り続ける。
    これでは危険を無くせないどころか減らせない。

    ずっと冷や飯を食わされ続けているようですね。
    予算が付かず研究費に困っているのか、私でも知っている「小出裕章」氏は「助教」のままです。

    「熊取六人衆(くまとりろくにんしゅう)は、原子力利用の危険性について研究し、追究し続けてきた京都大学原子炉実験所原子力安全研究グループの6人の科学者の総称、通称。」
    「海老沢徹(1939年 – )京都大学原子炉実験所元助教授
    小林圭二(1939年 – )京都大学原子炉実験所元助手、元講師
    瀬尾健(1940年 – 1994年)京都大学原子炉実験所元助手
    川野真治(1942年 – )京都大学原子炉実験所元助教授
    小出裕章(1949年 – )京都大学原子炉実験所助教(現職)
    今中哲二(1950年 – )京都大学原子炉実験所助教(現職)」
    熊取六人衆 – Wikipedia
    http://ja.wikipedia.org/wiki/熊取六人衆

  2. 白井浩子 11年9月6日 0:09:05 #

    数日前の「しんぶん赤旗」の一面、「原発マネー」シリーズ③、お読みになりましたか。80年代当時の敦賀市長の言い分です。曰く、
    ――「原子力発電所は、一瞬を争う事故というのはないそうです。そのかわり、100年たってカタワ(障害者を侮辱した言葉)が生まれてくるやら、50年後に産んだ子どもが全部カタワになるやら、それは分かりませんよ。分かりませんけど、今の段階ではおやりになった方がよい、いつまでも心配する時代ではない」――

    これが、住民の健康と安全に責任を持つ地方行政の長の姿勢でしょうか。
    また、次もあります。

    ――「この間、東京で動燃(現・日本原子力研究開発機構)、原電の二つをまわりまして1億ずつ、そりゃもう『分かりました』ということで、いただいて帰ったんです。こうして寄付してもらうわけなんです」――

    原発立地地域は、そもそも人口の少ない過疎地が多く、産業も不振な地が多いですね。国などは、その弱点を握って立地を迫るわけですから。でも翻って、その地の側から「寄付」をゆするような姿勢は、「貧困とやくざの関係」そのものではないでしょうか。やりきれない気持ちです。
    しかもその寄付は、電力料金に転嫁されて、私たちが支出するのですからね。

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