「よし子と俳句」 茄子の花戦火耐えきし母のこと
今日は岡山空襲63年目です。私の7歳の時でした。私の住んでいた弓之町は、岡山市内でも一番ひどく焼けたところです。
岡山市史によりますと、当時の岡山市の①人口は、164,492人。②戸数39,050 戸 ③市街地面積10、45平方キロメートルです。④焼失面積は7、69平方キロメートルですから市街地の73%が焼失した事になります。投下された焼夷弾は、10万発とも言われています。
この空襲で亡くなった人は1,737人 負傷した人6,026人です。米軍資料によりますと岡山空襲は全国16番目に位置づけられていたそうで、岡山市の他に倉敷、玉野、津山がそのリストに上げられていたとあります。
昨日(28日)の山陽新聞「ちまた欄」に、70歳の岡崎靖子さんと言われる方が、岡山市デジタルミュージアムで行われている「岡山戦災の記録と写真展」を見て『焼夷弾のむごさ展示会で実感』という記事を書いておられます。私はそれを読み、今更のようにそのむごさに激しい怒りを感じます。少しご紹介しますとー 『ーーーサイパンを飛び立ったB29は焼夷弾を満載してやってきた。これは火災を起こすことを目的に作られた爆弾で、日本を空襲するために開発されたという。1トンの爆弾が投下されると、本体が破裂し、内蔵されている36発の焼夷弾がばら撒かれる仕組みなのだ。その中身は爆薬でなく、引火すると激しく燃焼するゼリー状の油脂ガソリンだったーー』とあります。
そうだったのか!それで岡山市街地の73%が一瞬にして一面焼け野原になったのか。こう思うとあの岡山空襲とは、都市と人間を標的にした無差別爆撃だったようです。
あの空襲の前日、母は我が家の庭先の茄子の花を長いことじっと眺めていました。何を考えていたのでしょうか。私は茄子の花を見るといつもその母の姿を思い出すのです。



